シナジーカンパニージャパン

杉原美津子さん プロフィール

1944年、愛媛県生まれ。1980年、新宿西ロバス放火事件に遭遇したのをきっかけに執筆を始める。
2010年3月、第3回[池田晶子記念]わたくし、つまりNobody賞特別賞を受賞。著書に『生きてみたい、もう一度』(文藝春秋)、「ふたたび、生きて、愛して、考えたこと」(トランスビュー)などがある。

SYNERGY ESSAY シナジーエッセー 杉原美津子さん

(コメント)

2012年1月6日(Fri)

お正月の香り

 紺碧の空を仰いで冬木立がすっくと立つ。

 北の国から渡ってきたモズ、ツグミ、コブハクチョウ、オオルリ。その力強い鳴き声が、冷たい風花といっしょに飛び交う。ここは名古屋城の北に広がる総面積七十六fの名城公園。

 新年の朝。この風景の中に佇み、未知の一年に期待と不安を抱きながら、繰り返し迎えてきたたくさんのお正月のことがゆらゆらと立ち昇ってくる。

 それは、時代の流れに押されるようにして、その「香り」を予期しない姿に変えてきた。

 暖房もまだ充分ではなかった昭和二十年代、三十年代。元旦の朝の部屋はしんしんと冷えていた。仕事も勉強もお休み。母の家事も小休止。お餅の焼ける芳しい香りが部屋に広がる。ぷ〜っと膨らんで、湯気が立ち上り、窓ガラスが曇る。この日は、父も母も小言を控え勉強の話も脇に置いて、夫婦げんかも遠慮してくれた。「今日は、お正月だから」と。

 「あけましておめでとうございます」と、父のあとについてみんなで和し、私は小さなグラスに注がれた「赤玉ポートワイン」を一気に空けた。おなかがぽっとあたたかくなった。空のグラスを差し出す私に、「早い!」と母は顔をしかめたが、「今日はお正月だものね」と笑って、そっと二杯目をついでくれた。

 食事が済むと、着物を着せてもらって紅をさし、ちょこまかと内股で楚々と大人になった気分。が、それも束の間。カルタ取り、すごろく、キャラメルを賭けたトランプ遊び、羽つき、凧揚げと、遊びに夢中になって、着物の前ははだけ、下着一枚。午後は家族そろって、映画館に「ダンボ」や「ノンちゃん雲に乗る」を観に行ったことも。お正月の香り――。それはそのまま、一年に一度、体いっぱいに感じた「家族の香り」だった。

 だが、東京オリンピックの年を間近にして、わが家にストーブが入り、テレビがやってきた。それを境に、その「香り」は、まるで変わった。部屋の隅々まであたたかくなったから、ひとつの炬燵に足を入れて語り合うことも、角突き合わせることもたまのことに。炬燵の上に取り残されたみかんの山が、香りも失くしてしなびていく。家族の関係は、テレビを迂回して二辺を辿るようになり、言葉を交わし合うのも、テレビを観ながら。話しかけると、「今日は、お正月だから」と、相手にしてもらえなくなった。家族より「付き合い」が先。団欒より「沈思黙考」。おたがいのことに「無関心」になっていった。そのさびしさが、私の反抗期の始まりだったかもしれない。

 名城公園を抜けると、満面と水を湛えたお濠の水面がお城を映し、マガモの母子が波紋を描いていく。母ガモを追う子ガモ。その子を振り返って待って迎えては、すいっと引き離す。その母ガモを子ガモがまた追う。しばらく遊んだら濠端に寄り添い合って羽を休めて。その母子の姿に、胸がきゅんとなった。

 震災後はじめて新春を迎えた東北の地に思いが飛び、「絆」の文字に、小さな炬燵でみんなが「ひとつ」になった感触が蘇る。そこには時には、窮屈で思い通りにはならないことも少なからずあったが、絶対に、あたたかかった、と。


2012年1月6日(Fri)